あれはたしか小4のころ、世の中に大学というものがあることを知りました。幼心に将来を不安に感じ、その大学というのに行きたいと親に伝えました。「うちはお金がないから無理。」「いとこみたいにスポーツ推薦で行け。」と突き返されました。さらに「もし明治大学に行くのならお金を出してやる。」と父に言われました。なぜ明治大学かというと、父が現在楽天イーグルス監督の星野仙一の大ファンで、彼の出身が明治大学野球部だったからです。当時、勉強は中の下。野球は小4で小6に混ざって試合に出ていたので、「野球で明治に行って、それからプロ野球選手になる!」というのがそのころの夢でした。
中学生になっても背がまったく伸びず、野球の実力も頭打ち。坊主にするのにも抵抗があって、野球をやめて軟式テニス部に入りました。夢はあっという間に散ってしまいましたが、ただ明治大学に行きたいという思いだけは残り、そのころからスポーツより勉強にシフトしていきました。
いざ勉強を始めると、勉強が楽しくなるというよりは、成績順位が上がって人を抜いていくことがうれしかったです。不純かもしれませんが負けず嫌いな性格だったので、下からとことん下剋上してやろうと思っていました。中3のころには上位の成績になり、難関私立と呼ばれる高校にも繰り上げ合格で滑り込むことができました。繰り上げ合格の身ですから、最初のテストでは学年でビリから10番。上に360人もいる状況でした。ただ、落ち込むということはなく、「こいつらすごいな。でも絶対に抜いてやる!」と思いました。気持ちでは絶対に負けないことが自分の唯一の取り柄だったかもしれません。
その後はその中でもまれ、いつの間にか明治大学から早稲田大学に志望校が変わっていきました。早慶と並び称されるなか、早稲田を志望した積極的な理由は正直ありませんでしたが、慶應のスマートさよりも自分には早稲田のバンカラ(死後)の方があっているといった漠然としたイメージによるところが大きかったです。ちょうど第二次ベビーブームの受験ピーク期だったので、早稲田の各学部とも実質倍率が約10倍はありました。相当に勉強したつもりでしたが、現役では通用せず、浪人することになりました。
浪人時代、夏以降は起きている時間すべて勉強、トイレでもお風呂でも暗記。1日平均14時間勉強したかもしれません。これ以上ないくらいやって、何とか第一文学部に合格することができました。要領よく勉強して合格できるほどの実力は自分にはないと早い段階で気付いていたので、とにかく圧倒的な量で対抗しようと考えました。今振り返ってみると、気持ちの強さと勉強量のみが自分の合格できた秘訣だったと思います。頭のいい、わるいはまったく関係ないと思います。絶対に合格するという強い気持ちでとことん勉強すれば、志望校合格はきっと叶うはずです。
最後に私の早稲田大学進学後ですが、受験勉強の反動でまったく勉強しなくなってしまいました。大学3年の時のテストでappleが書けなくてやっと危機感が芽生え、そこから英語の勉強をし直したことがきっかけで今の英語講師にたどり着いています。早稲田大学には星の数ほどのサークルがありますし、バイトで様々な社会経験をすることもできるでしょう。皆さんすべてを受け入れてくれるだけのものが早稲田大学には必ずあると思います。ぜひ早稲田大学合格を目指して頑張りぬいてください!