早稲田大学でのエピソードは学業のこと、剣道のこと、留学のことなど、語り尽くせないほどにあるのですが、今回は神宮球場での東京六大学野球の観戦についてお話したいと思います。
私が早稲田に入学した当時、野球部にはプロが注目する選手が数多く在籍しており、実際在学中に11名のプロ野球選手が誕生しました。しかし、今回はそうしたスター選手ではない、2人の選手について書こうと思います。
大学の体育会(運動部)は、高校時代に優秀な記録や成績を収めた学生を推薦という形で受け入れることが珍しくないのですが、早稲田にはそうした学生の割合が他のライバル私大と比べて少ないように思います。それでも、野球部が六大学リーグで通算最高勝率を誇っているのは、一般入試をかいくぐった選手たちの活躍が大きいのではないでしょうか。例えば、現在プロ野球で活躍している和田毅投手(オリオールズ)、青木宣親選手(ブリュワーズ)、江尻慎太郎投手(横浜DeNA)などです。
私は早稲田を卒業した今も、春と秋は六大学野球を見に神宮球場に行っています。昨年、副キャプテンとしてチームの日本一に貢献した選手のインタビューの中で、最も印象に残ったものを紹介します。
「斎藤(佑樹)さんが『何かを持っている』と言われていますが、我々が何を持っているかと言うと、何も持っていません。何も持ってないからこそ死ぬ気で練習してきました」
彼は一般入試で早稲田に来て、下級生時代はほとんど出番がありませんでした。しかし斎藤佑樹投手などの一線で活躍する選手に食らいついて必死で努力を続け、春の全日本選手権では早稲田の3番バッターとしてチームを日本一に導き、秋のリーグ戦ではベストナインを授賞しています。高校時代に目立った戦績を残していない選手が、東京六大学という舞台でベストナインに入るためには、それこそ本人が言っていたように「死ぬほど練習」する必要があったはずです。試合に出られなくても、あきらめずに努力を続けた結果が、大学日本一につながったのではないでしょうか。これこそ早稲田の魅力ではないかと思います。
もう1人は、私が在学中に早慶戦で非常に思い出深いヒットを放った選手の話です。実は、四年間で彼の出番は4年時の早慶戦における、代打でのこの1打席のみです。この時彼は勝利に大きく貢献するヒットを放ち、4年分の喜びを爆発させるかのように塁上で拳を突き上げていました。
六大学リーグの最終週に行われる早慶戦は、早慶両校の野球部員にとってリーグ優勝と並ぶほどの重みがあります。彼の渾身のガッツポーズからは、4年間でたった1打席、たった1安打を放つために何万回もバットをふってきたからこその充実感が溢れていました。
私がこの二つのエピソードで皆さんに早稲田の魅力とともに伝えたいのは、受験勉強においては常に「フルスイングするバッター」であってほしいということです。受験生にとって第1志望は非常に大きな目標で、自分の可能性を疑ってしまうこともあるかもしれません。私も受験生時代に、「お前に早慶なんて無理だ」と何度も言われ、実際に高3の夏ごろまで早稲田はE判定でした。それでも他人がなんと言おうと、困難なことを不可能のまま終わらせるのも、可能にするのも自分次第です。早稲田の野球部員たちのようにあきらめずに全力でぶつかって、自分にとっての最高の母校への扉をひらいてください!!
受験生の皆さんも、最高の舞台で、最高の相手から、値千金の一打を放てるよう、全力でバットを振っていきましょう!