何が一番良かったかというと、ほぼ何も強制されないところ。勉強は適当にやっていたけど、卒業できた。ただ、卒業して15年経った今でも、ドイツ語の単位が足りなくて大学を卒業できない夢をたまに見る。
卒業して社会に出てみてわかったことは、慶應出身者はきちんと着実な人生を歩んでいる人が多く、早稲田出身者は(人によって様々だが)慶應に比べて適当な人が圧倒的に多いということ。慶應義塾に合格するには、ある程度の才能ときちんとした努力が必要で、早稲田は生徒数が多いので「どちらかがあれば受かる」という感覚がある。それも少なからず関係していると思う。「どこそこの有名企業では慶應閥が強い」という話はよく聞くが、早稲田閥という言葉はあまり聞かない。早稲田が強いのは「政界」「マスコミ」で、やはりどこか胡散臭い。
友達や先輩を見ると、この人本当に能力が高いなぁと思える人も通っていて、この人が何で早稲田に?(国立に行けば良いのに)と思うのだが、一緒に活動しているとその理由がよくわかる。自己管理能力が決定的に不足しているのだ。五日間連続麻雀大会(友達の家に泊まり込んで行われる、食う・寝る以外は麻雀しかしない自堕落な大会で、もちろんその間の授業は欠席)とか、金がなくなっても、友達に借りて飲み続け、借金が大きくなったので、その後の三ヶ月はバイトに明け暮れるとか(もちろん授業は出ない)。40を過ぎた今でも、定職がない先輩もいるし…、でもそれなりに楽しく日々を暮らしていたりする(もともときちんとした暮らしをすることに魅力を感じていない部分もあるから)。
さすがに私も後半は真似られないが、大枠ははずさない範囲で、刹那的でめちゃくちゃな生活をしていた。そしてそれが許されるというか、むしろ羨望される部分もあって、私はそういう早稲田の雰囲気が大好きだった。結果的に、自分に一番合っている大学に進学できて非常に幸せだったと思う。
結局、大人になった今でもきちんとした仕事の仕方はできていない。でも、とにかくタフにはなった。もともとの私の気質もあるのだと思うが、早稲田に鍛えられた部分が仕事でも役立っていると感じる場面が多々ある。仕事以外でも、内定の決まった元生徒と朝まで飲むとか。先だってのゴールデンウィークには東京の実家に帰っていたのだが、昼間は子供達(4才の娘と1才の息子)と公園(ソリを使って滑る滑り台がある)や遊園地で目一杯遊んで、夕方に電車に飛び乗り19時から藤沢で中3生の補習し、東京へトンボ帰り×2(2日連続という意味)とか。午前2時位まで仕事をした次の日、朝7時に起きて洗濯をして、子供達を起こし、着替えさせ、おむつを替えて、ご飯を食べさせ、髪をとかして歯磨きの仕上げ(「仕上げはおと~ぉさ~ん♪」というやつ)をして、保育園につれていき、その足でスクールでガイダンスの準備をし、10時半からの本部の会議に出て、すぐさまスクールに戻り昼から保護者面談をし、夕方からは授業をする。自分でも良くやるなぁと思うが、そんな生活をこなすのがまた楽しい。そういう意味で人生を人より楽しんでやろうとどこかでいつも考えながら暮らしていて、実際楽しい。私のそういう部分を伸ばしてくれたのが、早稲田というところだと思う。