早稲田を目指し、勉強に明け暮れた浪人時代

 早稲田を目指し、勉強に明け暮れた浪人時代(現役のときは全く勉強しなかった…)。自分が早稲田を目指した理由は単純で、「偏差値の高い大学」で「国立よりは楽」だから(笑)。こんなこと考えている時点で相当早稲田(というより受験そのもの)をナメていたかもしれないが、自分は「普段は何もしないが、やると決めたらとことんやらないと気が済まない」性格だった。だから、「どうせ勉強しなきゃいけないなら、高いところを目指してみたい。高校受験は自分が本当に行きたいところに届かずに志望校を下げてしまったので、大学受験では『本当に行きたい第一志望』に入りたい」と考えて、早稲田を目指すことにした。

 早稲田を受験するにあたって、自分がしたコダワリがある。それは、「早稲田をよく知ること」だ。早稲田を目指すにしても、自分は早稲田がどんなところか殆ど知らない。知っているのは箱根駅伝で出てくるのと、校歌が有名なこと、卒業生に有名芸能人が多いことくらいだ。とにかく実際に早稲田まで毎月足を運んだ(片道2時間、電車賃往復2000円以上かかった…)。そして早稲田の学食で昼食を食べたり(大隈ランチなるものを食べた)、早大生に交じってキャンパスを闊歩したり、早稲田のシンボル『大隈講堂』に用もなく行ってみたり、早大近辺のお店に入って夕食を食べたり、生協に行って、よく大学生が持っている「大学名がローマ字で書いてある、取っ手のついてないビニール製のバッグ(名前がわからない)」を買ったり(あれ、当時とにかくカッコよく見えて、どうしても欲しかったのだ。もちろん実際に合格するまでは使わなかったが笑)。とにかく早稲田に馴染み、早大生になりきり、未来の大学キャンパスライフを妄想していた。そうこうしているうちに、自分はどんどん早稲田大学の魅力にハマっていった。「絶対にこの大学に入る!」そう心に決め、早稲田に対するモチベーションを上げていった。 (ちなみに、このとき勉強は電車の中でひたすら暗記モノをやっていた。往復4時間もあるのでだいぶはかどった笑)。

 勉強は相当に苦労した。1浪時の最初の日本史の模試でなんと1問しか合っていなかった(マーク模試なのに…)。英語も惨憺たる出来だった。現在英語を教えているが、当時の英語の偏差値など言うこともできない(ほどひどい笑)。これが3年間ほとんど勉強をしてこなかったツケである。予備校に通っていたが、まず講師が何を言っているのかわからないし、説明も、黒板に板書するのも、それを消すのも速すぎて全くついていけない。参考書に至っては悪魔の呪文のように見えたほどだ。それを周りの友人に悟られるのが恥ずかしくて、ついつい見栄を張っていた。模試の成績など一度も友人に見せたことはなかった。また、チューターに相談などしたこともない。講師に質問もしたこともない。そこで早稲田は無理と言われるのが怖かった。自分の実力のなさなど認めたくなどなかった。要するに、プライドばかりが高い男だったのだ。

   そんなとき、とある英語講師が授業中、こんな言葉を発した。
 「できない者ができるようになるには、自分ができないことをまずは認めることだ。」と。

 それがない限り、いくら形ばかり勉強しているつもりでもその性格が邪魔をして伸びるものも伸びないと、はっきりと言われた。彼の目は本気だった。今まで、ほかの講師などからいいお話を聞いてやる気には一瞬なるものの、家路につくころにはすっかり忘れているのが常であった。だが、その言葉を言われてからの自分は明らかに変わった。予習と復習を本気でやるようになった。今まで(プライドが高いせいで)欲張って難解な授業をたくさん詰め込みすぎていたのを、1教科(英・国・日本史)につき週1~2コマに絞り、予習復習の時間をたくさん取れるようにした。

 英語に関しては、英文法の問題集と予備校のテキストを1冊まるごとすべて自力で解説ができるようになるまで繰り返した。だから問題集は解説がかなり詳しく載っているものを選んだ(教わっている講師が執筆しているものが主だった)。この「解説が自分でできる」というのが、知識の定着には抜群に効果を発揮した。なぜこの答えが出てくるのかのプロセスをきちんと説明できるようになると、初見の問題でも迷わなくなった。長文も授業テキストのすべての英文の解析を予習段階でやり、「先生はここをこう説明するだろうな」「ここはこう板書するだろうな」と授業内容を勝手に予測して授業に臨んでいた。最初はほぼ当たらないのだが、その先生の「やり方」が身についてくると、不思議と授業が予測通りに進んでいく。予習段階で考えたことと、正解までの道筋における「ズレ」を確認して修正するために授業に参加していた。特に出典が「早稲田大学」のときは燃えたものだ。

 国語に関してもやることはほとんど変わらなかった。答えよりも、答えを出すまでの過程を特に大事にし、授業でもそこに集中して聞いていた。現代文はとにかく評論文が難解なので、復習の際に頭の中で理解・整理ができるまで何度も何度もとことん読みこんだ。

 日本史に関しては、「自分専用のノート作り」をした。とにかく「何も知らない」状態なので、まずは最低限の知識をつけてからでないと、一問一答の問題集や、総合問題集などやっても何の意味もないと気付いたからだ。大学ノートの見開きに、講師から頂いたプリントを、さらに空欄の数を増やしてノートに書いていく。自分ルールとして「見開き1ページにつき1時代をすべて書く」こと。ページを複数にすると、自分の中で整理がつかなくなるからという結論だった。これは本当に時間がかかった。他科目の勉強もあるので、1日1時代が限界だ。だが自分で書くと驚くほどに頭に入ってきた。これを毎日、1時代仕上げてそのノートを完全に覚えるまでは予備校から家に帰らないというルールを決めた。これは何があっても覆さない。翌日は前日に覚えたノートのページを復習するところから始め、次の時代のノートを作り、覚える。そうして全時代を網羅していった。歴史の流れは講師の授業を細大漏らさず聞くことで掴んでいった。模試で新たに出てきた知識は、そのノートのその時代のページに付け加えることにしていた。

 自分は不器用だ。自分の勉強法は実際ものすごく時間がかかるやり方であったが、そうやる以外できなかった。特に日本史は正直、その「ノート」以外に何かをしたという記憶がほぼないほどだ。それで十分問題を解くことができた。もちろん、この勉強法が絶対に正しいわけではないし、この方法でやってみろというつもりもない。自分にはこれしかできなかったというだけで、もっと効率の良いやり方があるに違いない。正しい答えは必ずしも一つではない。大事なのは、自分が「これだ」と思ったら迷いなく突き進んでとことん限界まで(いや、限界なんてないのかもしれない)やってみることだ。自分自身、このことを早大入試を通して学んだ。結果的に2浪してしまったが、最終的に早稲田大学に入ることができた(それでも高校の先生からは奇跡だと言われた)。もし早稲田を目指していなかったら、大学に行っていたかどうかも分からない。これを読んでいる早大受験生のみなさんも、どうか自分を信じて、教わっている先生を信じて、迷わず、とことんやり抜いて合格を勝ち取ってほしい。自分自身の最大の敵は「迷い」なのだ。アントニオ猪木氏も「迷わず行けよ、行けばわかるさ」と言っている。どうか最後まで諦めないでほしい。

 来年の4月1日(たしか毎年この日だった気がする)、自分が早稲田の入学式に参加している姿を思い浮かべ、一日一日を大切に過ごしてほしい。早稲田は自分が望んで自ら動けば、やりたいと思うことをほぼ叶えてくれるところだと思う。早稲田に入るところがゴールではない。そこでなにをやりたいのか、ぜひそれぞれ見つけてほしい。