「都の西北、早稲田の杜に、聳ゆる甍は我らが母校♪」
茨城の田舎から出てきて、まず入学式で驚かされました。
全国から集まったその学生数の多さ。
早稲田の応援団を中心に何度も(通算5~6回)歌った大学校歌と応援歌『紺碧の空』。
全体の入学式が記念講堂で行われ、その後、学部単位での入学式が大隈講堂でありました。
入学式当日にして歌詞をほとんど覚えてしまいました。
入学式を機に早稲田の醸し出す不思議なオーラに『ワクワク・ドキドキ』感を持ち始めました。
新入生歓迎の部活やサークルでもらったチラシは、正月元旦の新聞広告以上の多さ。卒業アルバムを取り出して、当時の部活やサークル数を数えてみたら、登録されているものだけで400近く・・・
どの部活、サークルに入ろうかと、いろいろなところに顔を出しました。さんざん悩んだ挙げ句、友達とレクレーションサークルを立ち上げました。キャンパス内の至る所にポスターを貼ったら、他大学・専門学校生も含め10人ほど集まってきました。早速、歓迎コンパ。その後、何か理由を付けては『打ち上げ』をしていました。高田馬場周辺の居酒屋事情は詳しくなりましたね(笑)。
自分の場合、大学の授業からよりも大学関連でいろいろなことを体験し学んでいった感じです。
周りには喫茶店(今は少なくなりましたね)、居酒屋、古本屋、食堂(レストランではないです)、雀荘等々、色々な所でお世話になりました。高田馬場駅から大学までの道のりはみんな『早稲田の応援団』で、どこに寄っても安心感がありました。地域まるごと『早稲田』でした。その辺は今も変わらないんじゃあないでしょうか。
サークル同士のつながりが縁で近所の大学にも顔を出すようになりました。東京理科大とか学習院とか…。自分の周りには、大学の壁を越えてサークル活動に参加するメンバーも多くいて、一番近かった日本女子大の連中も早稲田に顔を見せてましたね。お陰で、全国津々浦々の友人が出来ていきました。
いろんな人との出会い。それを可能にしてくれた『早稲田』での生活。
かまやつひろしの「我が良き友よ」という歌を知ってますか。
田舎から上京して早稲田南町という大学のすぐそばで4畳半暮らし始めた自分の大学4年間は、この歌とかぶる感じがします。
今から思うと、ほんとに貴重な楽しい4年間でした。ありがとう、早稲田!!