「早大生になるには・・・」

 「早稲田は卒業してからこそその良さを感じられる。」入学式か何かで話された祝辞の流れの中での一説、そこだけが耳に残った。「じゃ、これからの4年間っていったいどうなるのだろう」という、よぎったこの小さな不安は、すぐに形として現われた。大学は全く何もしてくれない、頼るのは自分。何をするのかは己が見つけるしかない。そんな厳しさを与えてくれる場所、それが早稲田。対峙した苦悩の日々の連続がその人なりの財産となっていくのだ。

 限りなく自由であるということは、どこかに緊張感を持って譲れないものを構築していかないと人はバランスをとれないもの(のようだ)。だから何かに熱中し、社会と自分との接点を自分なりに求めていく。その独特の、あの空気が、早稲田そのものなのだろう。 早稲田には、同じ空気を青春時代に吸ってきた、というだけでお互いを通じさせてしまう何かが有る。在学中はそれほど感じなかった母校への親近感や愛情は、卒業後幾十年を経た今のほうがはるかに増している。この確かな感情は、同窓生に対しても然り、在校生にも然り、ましてや真剣に早稲田を目指している未来の早大生に対しては、なおさら持ち合わせるものだ。

 早稲田への憧れを抱いているという、それだけで充分に入学資格を持ち合わせている君達。合格の仕方は人それぞれ、要は自分なりの合格法を見つけた者だけが入学するのだ。普遍的な物差しなんて通用しない。偏差値が何だ。他人は他人。比べる必要なんてどこにある。
 早大生になるには、入学の仕方から「早稲田」でなければならないのだ。自分を信じろ!